BINGO BONGO GROUP



まだまだ暑いですが。。。。

2011.08.09(Tue)【DIARY

まだまだ暑いですが。。。。

こんにちは。

今日も暑いですねー!外にでて少し歩くだけで汗が溢れるほどに出てきますね。

お盆を過ぎれば少しは涼しくなり、少しずつ秋が近づいてくるといいのですが。。。

そんな暑さも何のその!ビンゴボンゴ今日も元気いっぱいにオープンしました♪♪♪


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昨日は同じ長崎出身のビンゴファミリーの西川くんが実家からのお土産に『金銭餅』を持ってきてくれました。

西川くん、いつもありがとうございます♪♪♪アンティアンがもうすぐ入荷してくるんで、楽しみにしていてくださいね♪♪♪


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話が変わりますが今日は、先週ご紹介させていただきました『naomi&goro』さんのブログから。

僕はこの一週間もボサノバやジャズなどをもっぱら聴き続けていました。

上原ひろみさんや大西順子さん、piano jac、INO hidefumiさん、中山うりさんなどなど。

そしてnaomi&goro さんをまたリピートして聴いています。透き通るように美しい、天使の歌声をもつなおみさんと、暖かく繊細な音色で語りかけるブラジリアン・ギターの名手伊藤ゴローさんによるボサヴァ・デュオ。

世界的に見ても、今、最もジョアン・ジルベルト直系のサウンドと言われるだけあり、ジョアン・ジルベルト・マナーをふまえたスタイルで、コードの響き、言葉の響きを大切に、カバー曲からオリジナル曲までを演奏しています。


この『naomi&goro』さんが多大な影響を受けた、ボサノバの神様ジョアン・ジルベルト
の音楽も最近よく聴いています。


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ギター一本で弾き語る優しい音楽は、まさに癒しの音楽で心を穏やかな気持ちにさせてくれます。『naomi&goro』さんとすごく近い音感を感じるところも多々あり、、またそれぞれの違いから、それぞれの音楽がさらに違った味わいを感じさせてくれます。こんな音楽は心に入ってくる感じがするのですごくいいですね。

ジョアン・ジルベルト (Joao Gilberto)
ブラジル ギター奏者
ジョアン・ジルベルト(本名ジュヴェニアーノ・ジョアンジーニョ) (1930~)はブラジルバイーア州ジュアゼイロで実業家の子として生まれる。オルランド・シルヴァやディック・ファルネイとともにフランク・シナトラを愛して止まない少年時代を過ごす。ある時、親戚にギターをもらったのを機に音楽にのめり込むが、音楽活動に関して両親と折り合いがつかず、家出同然で故郷を後にする。

以来裕福だった生活は一転し、友人や女性の家を渡り歩くというその日暮らしの貧しい生活となる。しかし、ジョアン・ジルベルトのカリスマ性なのか、怠惰な生活ぶりに反し多くの人に愛された。

1950年ガロータス・ダ・ルアに抜擢、初めて音楽でそれなりの評価を受けたジョアン・ジルベルトだったが、相次ぐライブの遅刻や欠席等集団生活の出来ない・を露呈し結局クビになってしまう。やがてマリファナに溺れ心身ともに疲弊したジョアン・ジルベルトは妹の家に身を寄せることになる。ここで心機一転し薬物も止め、音響効果に優れた風呂場にこもり創作活動に専念するようになる。

リオ・デ・ジャネイロに出たジョアン・ジルベルトはナラ・レオンのアパートを訪れる。ナラ・レオンのアパートはサンバ・カンソンに飽き足りた若者のサロンと化していて、新しい音楽の誕生を待ち望む期待の渦に満ちていた。その顔ぶれはカルリーニョス・リラ、ホベルト・メネスカル、シコ・フェイトーザ、ドリ・カイミ等、後のボサノヴァを牽引していくものだった。ジョアン・ジルベルトが風呂場で作り出した音楽はその場の空気を変え、待ち望んでいた音楽の誕生を確信させるのに十分なものだった。

こうして時の先端を行くアーティスト達の共感を得、認められたジョアン・ジルベルトは既に売れっ子作曲家の仲間入りをしていた アントニオ・カルロス・ジョビンを紹介される。直ぐにジョアンの音楽の虜になったジョビンはヴィニシウス・ジ・モライスとの共作「想いあふれてChega de Saudade」をジョアン・ジルベルトに歌わせる事を思いつく。1959年発売された「想いあふれて」は、ヒット曲となり、ここに晴れてボサノヴァが誕生した。

1960年代になるとボサノヴァはブラジル国外にも少しずつ知られるようになり、ジャズを中心に取り上げられるようになった。1962年には世界一の舞台と称されたカーネギーホールの場でボサノヴァアーティストが終結する歴史的コンサートが開かれ、世界的に評価されるようになる。ここに参加したアーティストの多くがこれをきっかけにそのままアメリカに移り住む事になり、皮肉にもブラジル本国におけるボサノヴァブームは次第に冷めていくのだが、いずれにしてもジョアン・ジルベルトもアメリカに残る道を選んだ。そして1963年にはスタン・ゲッツと歴史的名作「ゲッツ/ジルベルト」を録音しボサノヴァが音楽的に確固たる地位を占めるようになる。

しかし降って湧いたような人気はそう長く続かなかった。栄える者も終には滅びん。アストラッド・ジルベルトとも離婚し、失意の内にアメリカを後にしたジョアン・ジルベルトはメキシコを放浪。喰うや喰わずのホームレス同然の生活をしていたという。しかしこの時期に吹き込まれた作品は本当に素晴らしい。コマーシャルなボサノヴァとは違うジョアン・ジルベルト本来の姿が表現された芸術的作品が名を連ねている。

1980年、ブラジルに帰国したジョアン・ジルベルトは1981年、ポストボサノヴァのMPB(ムジカ・ポピュラー・ブラジレイラ) の代表的アーティスト、カエターノ・ヴェローゾや ジルベルト・ジル と共演した作品「Brasil 海の奇蹟」を1枚残し、音楽シーンから姿を消す。再び浮上したのは1990年発表の「Joao」。

神出鬼没で奇想天外。ブラジルが生んだ天才はどこに行くのか。70を超えた今もボサノヴァリズムの提唱者ジョアン・ジルベルトは未だ現役。ギター一本の弾き語りで聴衆を沸かせている。



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